さてさて、2015年ももう、2月半ばです。ゆっくりしてたらもう2月が終わろうとしてる!
そんな中、1月半ばから、我が天空旅団も始動しております。
天空としては第3回の公演となる年ですな。
で、今回は「心機一転」をテーマにしましたので、役者陣は新人ばかりで組みました(約1名を除く)。それは新しく参加してくれる役者たちにとってはもとより、僕にとっても冒険、そしてある意味“賭け”でもあります。(っつか、ウチは毎回賭けか(笑))。
劇団として、そして劇団の演出として、同じ劇団員を長いスパンで育て上げたい。そしてその劇団員のファンを増やしながら劇団の、しいては演劇のファンを増やしていこう…それが地方都市姫路に創った、天空旅団の理想であり、創設指針です。
ですがま、未だそこまでには至っていませんが、なんとか今回も数人の新人さんが集まってくれました。本当にありがたいことです。
自分に大それたことはできません。才能も資質も自分にはないです。僕は自分が楽しいと思った芝居を作るだけです。
そろそろ稽古も本格的に始まります。僕は日曜日ごとにドキドキそして、ワクワクしながら稽古場へ向かっています。
おおっと、少し酔った勢いで少々喋りすぎましたかな。でもホントに毎回エキサイティングです。今回は特に。それくらいすげえメンバーが揃いました。
まだまだ、今からです。
天空旅団第3回公演、5月16日、17日。いーぐれ姫路。本番です。よろしく。
Nakedbluesがきこえる
姫路で新劇団「天空旅団」主宰&演出 演劇を始め、果ては表現にいたるまで、様々に(時に身勝手に)語っていこうと思いながら描く、日記(ブログ)というよりは(極個人的)演劇的エッセイ(ちなみに劇団員鋭意募集中です!)
2015年1月12日月曜日
2014年12月17日水曜日
2014年9月4日木曜日
懐かしき夏を越えて
お久しぶりです。なんともう9月です。びっくりです。
なるべく更新はしないとと思いつつ、疲れやらなんやらで…という言い訳は置いといて。
そろそろ夏も終わりにきましたな。今年は自分的に、いろいろありつつ、アッという間の夏でした。
毎年、参加(というか撮影で)してるこどもの館劇団も、台風のせいもあり、さほど参加してない感じでした。とはいえ最後まで楽しかったのですがね。
そういえばその中、盆休みに同窓会がありました。
同窓会といっても高校の、しかも陸上部の小さな同窓会でした。(実は僕は、陸上部を高校2年の冬に辞めてます。と言っても、ハッキリと辞めると言ったわけではなく、他のツレとバンドに走ってただけなんですけどね(笑))
地元の同級生から誘いが来たとき、最初は乗り気じゃなかったのですが、来れる予定のメンバーを聞いて、少し気が変わりました。
その同級生は、かつて僕が付き合っていた女性、松岡の名前をあげたからでした。
当日は会場の地元の居酒屋に入るなり、驚きと懐かしさで僕は胸いっぱいでした。なにせ20年ぶりの再会です。それこそ高校卒業から会っていない人なら26年ぶりになります(笑)。
まあ田舎の高校の陸上部ですから、メンバーは6~7人でしたけど、僕にはもう十分でした。
20年も経っているのに、案外みんな変わっていませんでした。そりゃ多少太ってたりシワがあったりは仕方ないことです。それは僕もですから。
そんな中、かつて付き合ってた松岡は、26年経って、もう三人の子供のお母さんになっていました(
(なのでもう、松岡ではないのですが…)でも、声や話し方は変わらず、相変わらずな感じでした。
話していくうち、高校の時の昔話や、20年の間のことを話していました。それは本当に驚きの連続でした。お互い(というか同級生全員)、この20年間には深い悲しみも喜びも、本当にいろいろあったろうに、その記憶を飛び越えているようでした。
彼女の話には本当に驚きで、(当時)自分勝手に生きてきた僕にはものすごい驚きでした。
僕の手紙をいまだに持っていてくれてること、かつて彼女と約束したこと、僕が音信不通になって心配させていたこと、自分の子供たちに僕の事を話していること。僕は、彼女からきた最後の手紙を覚えていることなど、お互いの“本当はその時、思っていたこと”を話せて、僕としてはなぜかホッとした気持ちになったのです。26年前の恋愛感情が蘇ったわけではなく、“あの頃生きていた自分”を、少し、肯定してやれたような、そんな気持ちでした。
今から思えば、若い頃の自分は、頑なだったと思います。でも今回、彼女と話せて、何だろう…胸の奥にあった、重い塊みたいなものが、ゆっくりと、少しづつゆっくり、融けていくような感覚がありました。
20年なんてあっという間です。そして、でも、そんな20年も無駄な時間はなく、意味があったのだと、その再会は僕に教えてくれたのでした。
なるべく更新はしないとと思いつつ、疲れやらなんやらで…という言い訳は置いといて。
そろそろ夏も終わりにきましたな。今年は自分的に、いろいろありつつ、アッという間の夏でした。
毎年、参加(というか撮影で)してるこどもの館劇団も、台風のせいもあり、さほど参加してない感じでした。とはいえ最後まで楽しかったのですがね。
そういえばその中、盆休みに同窓会がありました。
同窓会といっても高校の、しかも陸上部の小さな同窓会でした。(実は僕は、陸上部を高校2年の冬に辞めてます。と言っても、ハッキリと辞めると言ったわけではなく、他のツレとバンドに走ってただけなんですけどね(笑))
地元の同級生から誘いが来たとき、最初は乗り気じゃなかったのですが、来れる予定のメンバーを聞いて、少し気が変わりました。
その同級生は、かつて僕が付き合っていた女性、松岡の名前をあげたからでした。
当日は会場の地元の居酒屋に入るなり、驚きと懐かしさで僕は胸いっぱいでした。なにせ20年ぶりの再会です。それこそ高校卒業から会っていない人なら26年ぶりになります(笑)。
まあ田舎の高校の陸上部ですから、メンバーは6~7人でしたけど、僕にはもう十分でした。
20年も経っているのに、案外みんな変わっていませんでした。そりゃ多少太ってたりシワがあったりは仕方ないことです。それは僕もですから。
そんな中、かつて付き合ってた松岡は、26年経って、もう三人の子供のお母さんになっていました(
(なのでもう、松岡ではないのですが…)でも、声や話し方は変わらず、相変わらずな感じでした。
話していくうち、高校の時の昔話や、20年の間のことを話していました。それは本当に驚きの連続でした。お互い(というか同級生全員)、この20年間には深い悲しみも喜びも、本当にいろいろあったろうに、その記憶を飛び越えているようでした。
彼女の話には本当に驚きで、(当時)自分勝手に生きてきた僕にはものすごい驚きでした。
僕の手紙をいまだに持っていてくれてること、かつて彼女と約束したこと、僕が音信不通になって心配させていたこと、自分の子供たちに僕の事を話していること。僕は、彼女からきた最後の手紙を覚えていることなど、お互いの“本当はその時、思っていたこと”を話せて、僕としてはなぜかホッとした気持ちになったのです。26年前の恋愛感情が蘇ったわけではなく、“あの頃生きていた自分”を、少し、肯定してやれたような、そんな気持ちでした。
今から思えば、若い頃の自分は、頑なだったと思います。でも今回、彼女と話せて、何だろう…胸の奥にあった、重い塊みたいなものが、ゆっくりと、少しづつゆっくり、融けていくような感覚がありました。
20年なんてあっという間です。そして、でも、そんな20年も無駄な時間はなく、意味があったのだと、その再会は僕に教えてくれたのでした。
2014年7月9日水曜日
気が付けば、7月
…ハッ!!
し、7月ですか!?
ほったらかしで半年以上…ホントにすみません。それこそ言い訳ですが、いろいろありまして…。
えっと、人生とは、かくも残酷なもので…そしてまたそれにはいろいろありまして…あ、プライベートの話なんですけどね。
しかし、この天空旅団の第二回公演が終わってから半年以上、それこそ燃え尽きた感で過ごしてきましたな(笑)。ものすごく楽しい期間でありまた、ものすごく思い悩んだ期間でもありました。
自分自身よい経験になりました。
そんな時期を半ばボーっとすごし(笑)、半ば次回に向け思い悩みつつ、この時期まできました。
なんとかですが、第3回公演、やります!
しかしうだうだ思い悩んでるより動くことが大事なんだなと、つくづく思い知りました(笑)。
面白いこと、やります。ついでに役者、募集です。どんな方でも歓迎です。
時間と思いは、ある。
し、7月ですか!?
ほったらかしで半年以上…ホントにすみません。それこそ言い訳ですが、いろいろありまして…。
えっと、人生とは、かくも残酷なもので…そしてまたそれにはいろいろありまして…あ、プライベートの話なんですけどね。
しかし、この天空旅団の第二回公演が終わってから半年以上、それこそ燃え尽きた感で過ごしてきましたな(笑)。ものすごく楽しい期間でありまた、ものすごく思い悩んだ期間でもありました。
自分自身よい経験になりました。
そんな時期を半ばボーっとすごし(笑)、半ば次回に向け思い悩みつつ、この時期まできました。
なんとかですが、第3回公演、やります!
しかしうだうだ思い悩んでるより動くことが大事なんだなと、つくづく思い知りました(笑)。
面白いこと、やります。ついでに役者、募集です。どんな方でも歓迎です。
時間と思いは、ある。
2014年1月18日土曜日
2013年12月31日火曜日
歳の瀬にきて
2013年ももう残すところ数時間となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか?
未だ書きかけのブログもありますが、来年に書き足すとして、今年はいろいろありました。
もう今年は天空旅団の第二回公演で一年が過ぎたと言っても過言ではないでしょう。今年のはじめは色々手伝いはしましたが、五月くらいからはメンバーを集め、脚本を書き、追加し変更し、稽古して、あっという間に本番がきてしまいました。
今回の公演は人数が多く、客演以外の演者はほとんどが初心者に近いというメンバーにも関わらず、最終的には素晴らしい舞台を作れたと思います。
メンバー間でも親交は深く、本当に一回の公演で終わらせるには勿体ないくらいのメンバーでした。
少しでも「芝居が面白い」と思ってもらえたかなぁ・・・観てくれたお客さんもスタッフの方々も、本当にお疲れ様&ありがとうございました。
個人的には本当にいろいろあり、もしこの公演がなかったら陰々鬱々とした日々だったんじゃないかと思うくらいでした。しかしバタバタではあったけど芝居の稽古と本番があるだけでかなり気分的に助けられた感はあります。みんなが稽古に来てくれるから、僕はこの荒波を乗り越えられたのかなぁと。
人生はホントいろいろです。僕もこの歳まで来てしまいました。でもまだまだ書きたいことはあります。創りたい舞台があります。今は充電です。また始めます。
年賀状も出さなくなった僕ですが、どうかひとつ、来年もよろしくお願いします。よいお年を。
未だ書きかけのブログもありますが、来年に書き足すとして、今年はいろいろありました。
もう今年は天空旅団の第二回公演で一年が過ぎたと言っても過言ではないでしょう。今年のはじめは色々手伝いはしましたが、五月くらいからはメンバーを集め、脚本を書き、追加し変更し、稽古して、あっという間に本番がきてしまいました。
今回の公演は人数が多く、客演以外の演者はほとんどが初心者に近いというメンバーにも関わらず、最終的には素晴らしい舞台を作れたと思います。
メンバー間でも親交は深く、本当に一回の公演で終わらせるには勿体ないくらいのメンバーでした。
少しでも「芝居が面白い」と思ってもらえたかなぁ・・・観てくれたお客さんもスタッフの方々も、本当にお疲れ様&ありがとうございました。
個人的には本当にいろいろあり、もしこの公演がなかったら陰々鬱々とした日々だったんじゃないかと思うくらいでした。しかしバタバタではあったけど芝居の稽古と本番があるだけでかなり気分的に助けられた感はあります。みんなが稽古に来てくれるから、僕はこの荒波を乗り越えられたのかなぁと。
人生はホントいろいろです。僕もこの歳まで来てしまいました。でもまだまだ書きたいことはあります。創りたい舞台があります。今は充電です。また始めます。
年賀状も出さなくなった僕ですが、どうかひとつ、来年もよろしくお願いします。よいお年を。
2013年10月22日火曜日
“自分”という重き鎖
さてさて、旅団の第二回公演の稽古も本格始動しての稽古が、今ガシガシと始まっております。
今回は総勢10人!の稽古場です。
とはいえ今まで全員がそろった日はないので、10人の稽古場、とは言えません。
が、そろそろ揃わねばいかないでしょう。かくいう私も芝居やらスタッフ作業やらプライベートの問題やらでテンションとモチベーションが様々です。芝居だけに集中したいのにね。
そんなことは置いといて。
芝居の稽古は進みます。今回は初参加組が多いので芝居の稽古も初歩的なことからしてたりします。つまりは演技指導から、みたいな。まあ、それは十分、想像できたことなので文句は言いません。そして自分の演技の幅なんてものは最初からそうそう広かったりはしないものです。(人はそれを天才と呼びます)
で、演出をつけてていつも思うことなのですが、みんな“自分”という殻(または型、キャラ、鎧、視点etc)の強いこと強いこと。
芝居は人を演じることです。つまりは他人。自分ではなく。
ですが演じるときには自分の身体、声、顔、頭、考え方などで表現しなくてはいけません。ですが時おり、演じてる最中に(照れたり笑ったりして)普段の自分が出てくるのです。
実は稽古しているとき、それはすごく邪魔なのです。物語を途中で中断させられるのです。見ていてこれほど苦しいことはありません。
たぶん(無意識に)演技している自分を見ていて、「おい、ちゃんと演技できてるのか?」とか「これで合ってんのか?恥ずかしくないのか?」というような、“マイナスで見ている客観的に見てる自分”がいるのだと思います。
その気持ちは十分わかります。かつて僕がそうでしたから。
人間は社会的な生き物です。社会や世間とどうしても付き合っていかなければいけない動物です。(引きこもっている人でも社会的です。ネットや携帯がそれです)その社会的な世界に生きる自分が、客観的に見ているのだと、僕は思います。
その「(社会的な)自分に引き戻そうとする視点」を僕は、“自分”という重き鎖、と呼んでいます。
自分というものは簡単に捨てられないです。当然です。だって自分なのですから(笑)。
自分というのは、今まで生きてきた、その根幹たる部分です。自分が自分であるための(アイデンティティたる)所です。
しかし、芝居で演技するときには少し厄介な話になります。だって演技するってことは、“自分”にいながらにして全くの“他人”になること、であったりするわけです。
自分の身体を使って(自分にはこの身体しかないからあたりまえですが)時代も場所も違う、他人を演じるのです。そりゃもう大変です。自分の頭の中では全く知らない人間を、自分が演じようとしているのを見ているのです。そりゃ無意識に照れくさく、恥ずかしくもなります。
が、
芝居をすると、舞台に立つを決めた以上、立ってもらわないと困るのです。僕は主宰&演出という立場上、役になりきって立ってもらわなければ来てもらったお客さんに申し訳がありません。
役者としてもそうです。いくら友人とはいえ、いくら親姉弟とはいえ(親ならなんでもいいか…)、呼んだ方たちに「楽しかった!」と心から思ってもらわなければその意味はないと思います(いや、意味はあるかもですがね)。
そんな舞台に、普段のいつものあなたが出る(立つ)のです。想像してみてください。んー・・・。
きっと自分を消してしまうことはできないと思います。ですが、なんとかすることはできます。それには僕は、“集中力”と“想像力”だと思っています。
客観的に見ている“自分”を無視し、意識しなくして、その役が生きる場面を想像する・・・そうすれば(きっと)自分を見ているマイナスな自分を抑え、自分を後ろから見てくれ(後ろから見守っている)自分になる気がするのです。きっと。
とりとめのない話と勢いで長くなりました。この話の突っ込んだ部分はまた次回。
今回は総勢10人!の稽古場です。
とはいえ今まで全員がそろった日はないので、10人の稽古場、とは言えません。
が、そろそろ揃わねばいかないでしょう。かくいう私も芝居やらスタッフ作業やらプライベートの問題やらでテンションとモチベーションが様々です。芝居だけに集中したいのにね。
そんなことは置いといて。
芝居の稽古は進みます。今回は初参加組が多いので芝居の稽古も初歩的なことからしてたりします。つまりは演技指導から、みたいな。まあ、それは十分、想像できたことなので文句は言いません。そして自分の演技の幅なんてものは最初からそうそう広かったりはしないものです。(人はそれを天才と呼びます)
で、演出をつけてていつも思うことなのですが、みんな“自分”という殻(または型、キャラ、鎧、視点etc)の強いこと強いこと。
芝居は人を演じることです。つまりは他人。自分ではなく。
ですが演じるときには自分の身体、声、顔、頭、考え方などで表現しなくてはいけません。ですが時おり、演じてる最中に(照れたり笑ったりして)普段の自分が出てくるのです。
実は稽古しているとき、それはすごく邪魔なのです。物語を途中で中断させられるのです。見ていてこれほど苦しいことはありません。
たぶん(無意識に)演技している自分を見ていて、「おい、ちゃんと演技できてるのか?」とか「これで合ってんのか?恥ずかしくないのか?」というような、“マイナスで見ている客観的に見てる自分”がいるのだと思います。
その気持ちは十分わかります。かつて僕がそうでしたから。
人間は社会的な生き物です。社会や世間とどうしても付き合っていかなければいけない動物です。(引きこもっている人でも社会的です。ネットや携帯がそれです)その社会的な世界に生きる自分が、客観的に見ているのだと、僕は思います。
その「(社会的な)自分に引き戻そうとする視点」を僕は、“自分”という重き鎖、と呼んでいます。
自分というものは簡単に捨てられないです。当然です。だって自分なのですから(笑)。
自分というのは、今まで生きてきた、その根幹たる部分です。自分が自分であるための(アイデンティティたる)所です。
しかし、芝居で演技するときには少し厄介な話になります。だって演技するってことは、“自分”にいながらにして全くの“他人”になること、であったりするわけです。
自分の身体を使って(自分にはこの身体しかないからあたりまえですが)時代も場所も違う、他人を演じるのです。そりゃもう大変です。自分の頭の中では全く知らない人間を、自分が演じようとしているのを見ているのです。そりゃ無意識に照れくさく、恥ずかしくもなります。
が、
芝居をすると、舞台に立つを決めた以上、立ってもらわないと困るのです。僕は主宰&演出という立場上、役になりきって立ってもらわなければ来てもらったお客さんに申し訳がありません。
役者としてもそうです。いくら友人とはいえ、いくら親姉弟とはいえ(親ならなんでもいいか…)、呼んだ方たちに「楽しかった!」と心から思ってもらわなければその意味はないと思います(いや、意味はあるかもですがね)。
そんな舞台に、普段のいつものあなたが出る(立つ)のです。想像してみてください。んー・・・。
きっと自分を消してしまうことはできないと思います。ですが、なんとかすることはできます。それには僕は、“集中力”と“想像力”だと思っています。
客観的に見ている“自分”を無視し、意識しなくして、その役が生きる場面を想像する・・・そうすれば(きっと)自分を見ているマイナスな自分を抑え、自分を後ろから見てくれ(後ろから見守っている)自分になる気がするのです。きっと。
とりとめのない話と勢いで長くなりました。この話の突っ込んだ部分はまた次回。
2013年8月7日水曜日
5年後の夏の日
みなさまご無沙汰です。
自身の天空旅団の稽古も少しずつ進んでます。出席率はバラバラではありますが、メンバーもそろい、9月の本格始動に向けてガシガシ、脚本を書く日々です(といいつつ、進みは遅いですが!)。
で、先日・・・旅団のホームページから来たメールがありまして。その差出人というのが、僕が5年前、佐用劇団で演出をした時に参加してくれたただ一人の小学生、かずはなのでした。
思い出せば5年前、以前の関わりから(その数年前に僕は役者で佐用劇団に参加してました)、今回は演出して欲しい、と依頼されたのがきっかけでありました。
当時の僕はさほど経験も自信もありませんでしたが、僕でいいのならと多少浮かれながら参加していました(笑)。
演目は"オズの魔法使い"。既成はミュージカル台本しかない中、自分が脚本を起こすという、二重苦にも突入した時期でした(笑)。
で、フタを開ければいろいろ(詳細は割愛しますが)問題が起こる日々・・・。心理的に参ってしまい、稽古拒否ギリギリにまで追い詰められていた日々で、ありました・・・。
とはいえ、それでも自分が好きな"芝居"の現場。いろんな方々に助けられ、稽古は進んでいきました。(思えば今回、旅団に参加してくれてる舞尋も当時、まりなと一緒に佐用劇団に参加してくれてたなぁ・・・)。
そんな日々ではありましたが、力不足の演出についてきてくれた役者の中に、当時小5の"かずは"はいました。
僕は当時、一番小さかったかずはを、ドロシーの飼犬の役の、"トト"の役につけました。
当時の舞台を見てくれた方々はわかると思いますが、僕が書いた脚本で後半、重要な意味を占める役でした。彼女は(ほかのみんなも)頑張って演じてくれ、本番は僕にとって、感慨深い、重要な舞台になったことを今でも覚えています。
その彼女は今は高校生。彼女が、何とかして天空旅団の稽古現場に見学に来てくれたのが、先日の土曜でした。
なんだか僕は嬉しくてね・・・、聞けばあれから5年間、佐用劇団に参加してたようで、演劇を楽しく思ってくれて、しかも続いてることが何とも嬉しく、幸せでありました・・・。
自身の感想なのですが、なんだかこうやって、人と人とはつながっていけるんだなぁと妙に感慨深くなった件でありました。
そやって、芝居人口増えればいいのになー・・・♪
自身の天空旅団の稽古も少しずつ進んでます。出席率はバラバラではありますが、メンバーもそろい、9月の本格始動に向けてガシガシ、脚本を書く日々です(といいつつ、進みは遅いですが!)。
で、先日・・・旅団のホームページから来たメールがありまして。その差出人というのが、僕が5年前、佐用劇団で演出をした時に参加してくれたただ一人の小学生、かずはなのでした。
思い出せば5年前、以前の関わりから(その数年前に僕は役者で佐用劇団に参加してました)、今回は演出して欲しい、と依頼されたのがきっかけでありました。
当時の僕はさほど経験も自信もありませんでしたが、僕でいいのならと多少浮かれながら参加していました(笑)。
演目は"オズの魔法使い"。既成はミュージカル台本しかない中、自分が脚本を起こすという、二重苦にも突入した時期でした(笑)。
で、フタを開ければいろいろ(詳細は割愛しますが)問題が起こる日々・・・。心理的に参ってしまい、稽古拒否ギリギリにまで追い詰められていた日々で、ありました・・・。
とはいえ、それでも自分が好きな"芝居"の現場。いろんな方々に助けられ、稽古は進んでいきました。(思えば今回、旅団に参加してくれてる舞尋も当時、まりなと一緒に佐用劇団に参加してくれてたなぁ・・・)。
そんな日々ではありましたが、力不足の演出についてきてくれた役者の中に、当時小5の"かずは"はいました。
僕は当時、一番小さかったかずはを、ドロシーの飼犬の役の、"トト"の役につけました。
当時の舞台を見てくれた方々はわかると思いますが、僕が書いた脚本で後半、重要な意味を占める役でした。彼女は(ほかのみんなも)頑張って演じてくれ、本番は僕にとって、感慨深い、重要な舞台になったことを今でも覚えています。
その彼女は今は高校生。彼女が、何とかして天空旅団の稽古現場に見学に来てくれたのが、先日の土曜でした。
なんだか僕は嬉しくてね・・・、聞けばあれから5年間、佐用劇団に参加してたようで、演劇を楽しく思ってくれて、しかも続いてることが何とも嬉しく、幸せでありました・・・。
自身の感想なのですが、なんだかこうやって、人と人とはつながっていけるんだなぁと妙に感慨深くなった件でありました。
そやって、芝居人口増えればいいのになー・・・♪
2013年6月4日火曜日
映画と、身についたもの
ども。いろいろ書きたいことはあれど、なかなか書かないおいらです(笑)
最近は空いてる時間を利用して、映画なんぞを見てるのですが、いろいろやはり面白くて。
近いところでは"メゾン ド ヒミコ"とか"シュアリーサムデイ"とか"カフーを待ちわびて"とかです。
それぞれに面白くお勧めなんですが、そのうちの一つに、ちょっと感慨深いものがありました。
映画は、"今度は愛妻家"。
そう、これは以前自分がいた劇団ソラシードの、(脱退してから)音響で参加した作品でありました。
本作品はDVDで見ていたのもあるんですが、稽古でもずっと台本を見て、音楽も考えての作品だったためあらすじも展開も、セリフまで覚えているものです。
で、なかなか映画は映画的な展開で進みます。実は"今度は愛妻家"の主人公はカメラマンです。
途中、離婚する妻を「離婚記念」として撮影するのですが、舞台では自分のカメラ(ハッセルブラッド)じゃなく、写ルンですで撮影するのですが、映画ではハッセルで撮ります。
舞台版との差別化なのか、また違う意味でなのかはわかりませんが、映画ではその自分のカメラで撮った写真を、自宅の暗室でプリントするのです。
で・・・で、ですよ。暗室でプリントするってことはモノクロ写真ってことはわかります(まあ昔、暗室の"赤い"ライトの中で、プリントしてたのが"カラー写真"っていう、そりゃなんつー無茶してんだ!ってドラマありましたが)。
まあこの映画ではそんな無茶はありませんでした。
ですが、○んだ妻を撮影したモノクロフィルムをプリントするのですが、よくある暗室のシーン(あの赤いライトのヤツ)で、プリントするときに(真っ白な紙から画像が浮かび上がるとき)主人公は撮影した妻が○ってないコトに気づくのです。
以前、自分でモノクロ写真を現像してプリントした人ならわかると思いますが、プリント以前にフィルムを現像します。で、現像したネガを点検し、それからプリンターでピントを合わせ露光し、それからプリントします。そう、露光した印画紙から浮かび上がる画像を見るまでに、まだ段階があるだろう、その段階で妻が○ってないことがわかるんじゃないか・・・と思ったのです。
すみません、なかなかわからない写真の裏話です。
ですが、自分はあのモノクロ写真の、真っ白な印画紙を現像液に入れて、そこから画像が浮かび上がる瞬間はなんとも言えない感動があるものです。この映画では、それを思い出させてくれました。
最近では、自分で写真などプリントすることはなくなりました。
でも、自分が20歳前後、必死でモノクロのプリント作業を何時間もしてた記憶と感動を、思い出させてくれました。
暗室作業したいなぁ・・・ほんと楽しいしなかなかできない体験だと思うのです。
フィルムと薬品、揃えようかな(笑)。
最近は空いてる時間を利用して、映画なんぞを見てるのですが、いろいろやはり面白くて。
近いところでは"メゾン ド ヒミコ"とか"シュアリーサムデイ"とか"カフーを待ちわびて"とかです。
それぞれに面白くお勧めなんですが、そのうちの一つに、ちょっと感慨深いものがありました。
映画は、"今度は愛妻家"。
そう、これは以前自分がいた劇団ソラシードの、(脱退してから)音響で参加した作品でありました。
本作品はDVDで見ていたのもあるんですが、稽古でもずっと台本を見て、音楽も考えての作品だったためあらすじも展開も、セリフまで覚えているものです。
で、なかなか映画は映画的な展開で進みます。実は"今度は愛妻家"の主人公はカメラマンです。
途中、離婚する妻を「離婚記念」として撮影するのですが、舞台では自分のカメラ(ハッセルブラッド)じゃなく、写ルンですで撮影するのですが、映画ではハッセルで撮ります。
舞台版との差別化なのか、また違う意味でなのかはわかりませんが、映画ではその自分のカメラで撮った写真を、自宅の暗室でプリントするのです。
で・・・で、ですよ。暗室でプリントするってことはモノクロ写真ってことはわかります(まあ昔、暗室の"赤い"ライトの中で、プリントしてたのが"カラー写真"っていう、そりゃなんつー無茶してんだ!ってドラマありましたが)。
まあこの映画ではそんな無茶はありませんでした。
ですが、○んだ妻を撮影したモノクロフィルムをプリントするのですが、よくある暗室のシーン(あの赤いライトのヤツ)で、プリントするときに(真っ白な紙から画像が浮かび上がるとき)主人公は撮影した妻が○ってないコトに気づくのです。
以前、自分でモノクロ写真を現像してプリントした人ならわかると思いますが、プリント以前にフィルムを現像します。で、現像したネガを点検し、それからプリンターでピントを合わせ露光し、それからプリントします。そう、露光した印画紙から浮かび上がる画像を見るまでに、まだ段階があるだろう、その段階で妻が○ってないことがわかるんじゃないか・・・と思ったのです。
すみません、なかなかわからない写真の裏話です。
ですが、自分はあのモノクロ写真の、真っ白な印画紙を現像液に入れて、そこから画像が浮かび上がる瞬間はなんとも言えない感動があるものです。この映画では、それを思い出させてくれました。
最近では、自分で写真などプリントすることはなくなりました。
でも、自分が20歳前後、必死でモノクロのプリント作業を何時間もしてた記憶と感動を、思い出させてくれました。
暗室作業したいなぁ・・・ほんと楽しいしなかなかできない体験だと思うのです。
フィルムと薬品、揃えようかな(笑)。
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