2011年11月29日火曜日

姫路国際短編映画祭、CM、2011

そういえば・・・

天狼星の本番や演遊舎の本番に追われて、いろいろとりこぼしていました(笑)。
私にとっては芝居の舞台が主戦場だと思っているのですが、まあ演劇に関係していくといろいろな繋がりができてゆくものです。で、私はツイッターで知り合った方(実は初対面だと思っていたのは私だけで、ホントは以前会っていた方でした(笑))に、「姫路で映画祭があるんですか?」と聞いたことから、それは始まりました。

ま、そのいきさつは少々割愛しますが(笑)、そこから私は姫路の国際短編映画祭に(ちょこっと)関わっていくのですな。
って実はその関わり自体は来年なのですけども、ある日、そのイベントの国際短編映画祭の関係でメールがまわってきたのです。
「映画祭のCMに出演する男優さんを探しています、よろしければ連絡ください」とのこと。
で、まあちょこっとだけで、おいらでいいのならと連絡いたしました。

で、映画祭CM出演となりました。
今はまだアップされていませんが、映画祭HPには、メイキングがでております。ひとまず観てみてください。そのうちCMとして、出ます(笑)。

そんなことも、まあしてると。

2011年11月27日日曜日

羅列 ~世界その1~

結局のところ、この歳になってようやく世界がわかりかけてきた気がするんだけども、でもよくよく考えると世界なんてモノは自分の捉え方でどうとでもなるものだしわかったと思っていてもそれは自分が見てきた世界の中のコトだけなのかも知れない。自らの理解度に合わせて自分の見方は変わるものだしまたそうした変化を受け入れるような自分であらねばならないと思う。きっと世界は流動的であると思うし常に変化してゆくものと思う。とはいえ日常の中でそこまでの達観はできないし逆にそれとは程遠い世界に自分達は常にいるのだ。
僕はここにいる!と叫んでみたところでそれを認識しているのは自分しかいないしそこはもう自分の世界でしかないだろうと思う。つまり自分の世界なんて自分が感じたいと思った無意識の集合体であってきっと立場とか世間とか目に見える情景などではないはずだ。しかしそれを定義づけするには厚かましい話だし僕も面倒くさい。要は自らの意識と無意識の有り様なのだ。
ただただ黙ってあまねく世界とのありようを捉えようとしても、それは自分の意識の上での感覚というか、自らが捉えた経験の上で成り立ったものでしかないのかもしれない。
所詮は自意識などという小さな自分の中の、巨大な自我の作った実体のない巨大な化け物の仕業、ということにして、自分の犯した罪の所業をなんなくいいわけにしている、と思う。

なんだか訳がわからんな。

2011年11月13日日曜日

初冬

久方ぶりの更新です。
天狼星の公演「ショート2011」に来てくださった方、ありがとうございました。

さて、天狼星の公演が終わり、すこうしだけ抜け殻状態でしたがでもそんなことも言ってられず、次の公演の準備です。
もう来週に迫りましたが、僕が演出として参加している演遊舎公演「演遊舎が演劇をするらしい」の本番が迫ってます。とはいえ、そんなガッツリガシガシしているわけではなく、そこは演遊舎なりにぼちぼちやってきました。
最初は天狼星のガッツリ感とのギャップにとまどいましたが、でも演遊舎の三人の雰囲気をみて、のんびりした公演にしようと思い今、仕上げているところです。台本、というより役者本位ですな。演劇の基本ではあります。
よければ是非↓

演遊舎公演「演遊舎が演劇をやるらしい」
場所:納屋工房
日時:11月20日 13:30~開演(開場は30分前)
料金:500円

ひとまずインフォメーションです。で、そのまた次のプロジェクトも進行中です。
どうなんだ、休みたいぞ!

がんばります…。