暑い日がつづきますな。
そう、暑い、と言えば思い出したコトがありまして。
先日、(といってもちょっと前)に、客演したコンテンポラリーダンス公演の打ち上げでの事でした。
こんな活動について、演出のれいこ先生が一言、「そうなんよなー、龍野にもいろんなアートな活動、どんどん広めていきたいんやけどなぁ。どうしたら広まるかなぁ…?」と言ってました。
それは、僕も、ずっと考えてきたことでもありました。
アートを、なるべく多く、色んな人に知ってもらい、少しでも多くの人に心豊かになってもらいたい。そのためにはどうしたらいいのか。僕も、(演劇だけに限らず)考えてきたことでした。
方法論として、例えば、気に入った写真をいつもの倍以上の大きさに引き伸ばして、部屋に飾る。素敵じゃないですか♪自分の詩を書道で書いてみる、とか。
小さなことはそんなトコから。あとは、“訳がわからないかもしれないダンスの公演”にでかけてみる、とかです(笑)。
そんな中、公演が終了して数日後、僕はその発信源、“僕たちは、どうしたらもっと「アート」な活動を伝えられるか”という問題に、ふと、答えが出たように思ったのです。
それは、“走り続けること”だと、思ったのです。
お芝居に感動や憧れを持った瞬間って、あったでしょう?それはある意味、“リレーのバトン”です。あなたがそのお芝居のある場面、ある瞬間、そのバトンは渡されていたのです。少なくとも僕は、様々な場面で芝居に感動し、自分も、してみようと思ったのです。だから、僕たちは今も、芝居を続けてる。
地方で、細々と芝居を続けてるくらいじゃ、そんな多くの人たちを感動させることはできないと思います。でも、ずっと真摯に続けていれば、誰かにはきっと伝わるはず。そのために芝居を、表現することを続けてるのだと、思うのです。
地道な努力かもしれないですが、自分が楽しんで続けることさえできれば、それはきっと誰かには、伝わると、僕は信じています。本当に地道な努力です。でも、本当にちゃんと伝えるためには、そんな方法しかないように、僕は思えてくるんです。
それは、ある意味、“表現する意味”の一側面だと思います。
昔、僕たちが感動し、憧れた“あの瞬間”を、今度は僕らが、“見知らぬ誰か”に、渡すときなのです。ある意味、順番かも知れません。昔、自分たちが感動したように、今度は自分が、観に来てくれた人に、何かしらの感動を与える番だと、思ったのです。
「休まず、続ける」。言葉では簡単ですが、なかなかできないことだと思います。今年、自分の劇団を脱退した僕には、きっと今からです。がんばんなきゃね。
少しづつでも、面白いものを。
姫路で新劇団「天空旅団」主宰&演出 演劇を始め、果ては表現にいたるまで、様々に(時に身勝手に)語っていこうと思いながら描く、日記(ブログ)というよりは(極個人的)演劇的エッセイ(ちなみに劇団員鋭意募集中です!)
2010年7月27日火曜日
2010年7月15日木曜日
シネマ・トライアル
なかなか梅雨明けのしない七月ですな。
日曜日、自主制作映画のリハーサル(二回目)でした。なかなかの雨の中、練習場所の市川町まで行ってきました。
まあ、芝居の出来は、まあとりあえずアレでしたが、今回は一番の人の集まりでした。
そりゃあまあ、いろんな方面から集まるものですなぁ。劇団関係だと市川町の劇団から加西の劇団まで、けっこういるものです。
で、そんな総勢16名ほどの人たちに見られつつ、読み合わせ&リハーサル開始。中には高校生の劇団員とかいたりして、なかなかの緊張感でした。
リハーサルは初めての方もいたので最初から。なんとなく話の全体像が見えてきたりします。で、演技したりするわけですが、これまた僕のシーン。ま、濡れ場ではないですが、かなり乱暴なシーンなんです。前回やったので今日は無しかな?と思ってたらやるとのこと…。
まあ、いいですけどね。やりますよ?役者ですもの。…ってなわけで、高校生やら二十歳そこそこの女子大生やらが見てる前で、リハーサルです(笑)。
こうなったら、ある意味開き直りです(^^;)。内心、「うりゃあ、高校生、見とけやぁ!これが演技じゃあ!!」的な思いで、リハーサルしてきました(でも、“リハーサル”なんだよね)。
でも実は最初(前回)、なかなか、相手役の女の子にボディタッチさえ、できませんでした。(そりゃそうです、いくら僕でもいきなり胸なんて揉めませんって!)
演技とはわかっていても、いきなりそのシーンですから、いきなり女の子をいたぶるシーンなわけです。なのでいきなり集中していきなり襲うわけです(いきなりが多いな)。
はっきりいって照れます(笑)。慣れるまでが大変でした。でもある程度慣れると、相手役の女の子を“女の子”と意識しなくなりました。集中かもしれません。責任かもしれません。慣れてきたのかもしれませんが、でも、練習はやっぱり必要だと感じましたよ。
そんなこんなで、“意識力”と“イメージ力”を身をもって痛感しながら、僕ともう一人の共演者は、別の劇団の練習に見学にいきましたのです。
しかし、映像の世界もなかなか面白いものです。自主制作映画といえど、“表現のメディア”ではあるので、かなり興味は沸いています。僕自身も、映像畑の出身なので、それこそ自分で撮りたい衝動にかられてはいます。誰か、僕に映画撮らせてみませんか?(笑)。
リハーサルも無事終了。あとは8月、撮影本番です。
日曜日、自主制作映画のリハーサル(二回目)でした。なかなかの雨の中、練習場所の市川町まで行ってきました。
まあ、芝居の出来は、まあとりあえずアレでしたが、今回は一番の人の集まりでした。
そりゃあまあ、いろんな方面から集まるものですなぁ。劇団関係だと市川町の劇団から加西の劇団まで、けっこういるものです。
で、そんな総勢16名ほどの人たちに見られつつ、読み合わせ&リハーサル開始。中には高校生の劇団員とかいたりして、なかなかの緊張感でした。
リハーサルは初めての方もいたので最初から。なんとなく話の全体像が見えてきたりします。で、演技したりするわけですが、これまた僕のシーン。ま、濡れ場ではないですが、かなり乱暴なシーンなんです。前回やったので今日は無しかな?と思ってたらやるとのこと…。
まあ、いいですけどね。やりますよ?役者ですもの。…ってなわけで、高校生やら二十歳そこそこの女子大生やらが見てる前で、リハーサルです(笑)。
こうなったら、ある意味開き直りです(^^;)。内心、「うりゃあ、高校生、見とけやぁ!これが演技じゃあ!!」的な思いで、リハーサルしてきました(でも、“リハーサル”なんだよね)。
でも実は最初(前回)、なかなか、相手役の女の子にボディタッチさえ、できませんでした。(そりゃそうです、いくら僕でもいきなり胸なんて揉めませんって!)
演技とはわかっていても、いきなりそのシーンですから、いきなり女の子をいたぶるシーンなわけです。なのでいきなり集中していきなり襲うわけです(いきなりが多いな)。
はっきりいって照れます(笑)。慣れるまでが大変でした。でもある程度慣れると、相手役の女の子を“女の子”と意識しなくなりました。集中かもしれません。責任かもしれません。慣れてきたのかもしれませんが、でも、練習はやっぱり必要だと感じましたよ。
そんなこんなで、“意識力”と“イメージ力”を身をもって痛感しながら、僕ともう一人の共演者は、別の劇団の練習に見学にいきましたのです。
しかし、映像の世界もなかなか面白いものです。自主制作映画といえど、“表現のメディア”ではあるので、かなり興味は沸いています。僕自身も、映像畑の出身なので、それこそ自分で撮りたい衝動にかられてはいます。誰か、僕に映画撮らせてみませんか?(笑)。
リハーサルも無事終了。あとは8月、撮影本番です。
2010年7月7日水曜日
体躯、踊る身体。そのに。
さて、一日あけて、覚えてるうちに、“そのに”です。
僕は前回、“運動する身体”は動けるのだと書きました。多少、言葉足らずな感も否めないので、少し補足説明を。
僕が言う“動ける身体”とは、“運動する身体”です(“運動できる身体”といえばわかりやすいかも)。
僕たちは、“お芝居”をします。お芝居は、役者が自分の“声”や、“身体”や、“気持ちの動き”を使って、その意図を、見ているお客さんに伝える活動です。なので、多少なりとも動くことができる役者は、踊ることができるといえます。
それこそ始めは不慣れでも、回数を重ねるごとに上手くなってゆくはずです。回数を重ねるごとに、余裕が生まれ、“じゃ次はもうちょっと大きく”とか、“今度は早くやってみよう”とかの課題(向上心?)ができ、次の段階へシフトしてゆくはずです(ってか、当たり前のコトではあるんだけど意外と見落とすんだよね)。
で、次は“運動する身体”を持たなかった身体の話です。
演劇は多様です。それこそ高校、大学の“演劇部”は無数にあります。僕は「演劇部」は二通りあると思っています。すなわち“体育会系演劇部”と、“文科系演劇部”とです。あなたはどちらでしたか?
“体育会系演劇部”はとにかく走ります(笑)。実際、知り合いに聞いたら本当に走ってました。それは身体表現を前提としてるからだと思います。身体を鍛えて、表現に生かすためです。アングラな匂いがしなくもないです。
反対に“文化部系演劇部”です。ここはとにかく議論します(嘘です。話の都合上、ふたつに分けただけであって根拠はないです。あくまで僕のイメージです)。ま、文化部系ですから、内容を重視です。新劇な感じ、といえば怒られるかな?(あくまで個人的イメージですよぉ)
で、文化部系の演劇部出身の人とお芝居をした経験があるんですが、何せ踊りにくい。リズムに合わせて動きにくい。フリを理解できにくい。ということがありました。
僕はそれが不思議でなりませんでした。練習時のお芝居はうまいのですが、多少なりとも踊ろうという気持ちに、身体がついていかない感が、その人にはありました。いえ、そもそも自分が“踊っている”というコトが、今ひとつイメージできていないようでした。
これには様々な要因があって、一概に“こうだから、こうなんだ”という断定はできません。まあ、確かに今まで、ほとんどダンスや踊り(一緒か)とは遠い位置にいたのですから、どう動いていいのか、そもそもどう動くのか、といったイメージがないのです。
そう、“動けない”要因のひとつは“イメージ力の欠如”です。
たとえばテレビなどで、V〇とか、SM〇Pとか、E〇ILEとかが踊っているシーンを見て、“かっこいいなー、自分もあれだけ踊れたらなー”と、思って、ひとり自分の部屋で真似て踊ってみた記憶はありませんか?僕はあります(笑)。でもそんなものです。
しかし、それ(EXI〇EやSMA〇)を自分に置き換えるイメージ力がなければ、踊っている自分さえ、イメージできないわけです。
僕は数ヶ月前から、ジャズダンス教室に通ってます。内心、本当にオドオドでしたが、へたくそなりに踊ってみるとなんとかついていけるものです。それこそ昨日は、鏡越しに、自分の踊っている姿を(ある程度、納得して)見ることができました。数ヶ月踊ってきた賜物だと思います。
僕はその時、“初心者をイメージするより、プロをイメージして踊ってみよう”と、思考をチェンジした瞬間でした。
“想い”で世界は変わるものです。案外、簡単に。
イメージで、昨日は踊れなかったあなたも、踊れるかも知れませんよ♪
僕は前回、“運動する身体”は動けるのだと書きました。多少、言葉足らずな感も否めないので、少し補足説明を。
僕が言う“動ける身体”とは、“運動する身体”です(“運動できる身体”といえばわかりやすいかも)。
僕たちは、“お芝居”をします。お芝居は、役者が自分の“声”や、“身体”や、“気持ちの動き”を使って、その意図を、見ているお客さんに伝える活動です。なので、多少なりとも動くことができる役者は、踊ることができるといえます。
それこそ始めは不慣れでも、回数を重ねるごとに上手くなってゆくはずです。回数を重ねるごとに、余裕が生まれ、“じゃ次はもうちょっと大きく”とか、“今度は早くやってみよう”とかの課題(向上心?)ができ、次の段階へシフトしてゆくはずです(ってか、当たり前のコトではあるんだけど意外と見落とすんだよね)。
で、次は“運動する身体”を持たなかった身体の話です。
演劇は多様です。それこそ高校、大学の“演劇部”は無数にあります。僕は「演劇部」は二通りあると思っています。すなわち“体育会系演劇部”と、“文科系演劇部”とです。あなたはどちらでしたか?
“体育会系演劇部”はとにかく走ります(笑)。実際、知り合いに聞いたら本当に走ってました。それは身体表現を前提としてるからだと思います。身体を鍛えて、表現に生かすためです。アングラな匂いがしなくもないです。
反対に“文化部系演劇部”です。ここはとにかく議論します(嘘です。話の都合上、ふたつに分けただけであって根拠はないです。あくまで僕のイメージです)。ま、文化部系ですから、内容を重視です。新劇な感じ、といえば怒られるかな?(あくまで個人的イメージですよぉ)
で、文化部系の演劇部出身の人とお芝居をした経験があるんですが、何せ踊りにくい。リズムに合わせて動きにくい。フリを理解できにくい。ということがありました。
僕はそれが不思議でなりませんでした。練習時のお芝居はうまいのですが、多少なりとも踊ろうという気持ちに、身体がついていかない感が、その人にはありました。いえ、そもそも自分が“踊っている”というコトが、今ひとつイメージできていないようでした。
これには様々な要因があって、一概に“こうだから、こうなんだ”という断定はできません。まあ、確かに今まで、ほとんどダンスや踊り(一緒か)とは遠い位置にいたのですから、どう動いていいのか、そもそもどう動くのか、といったイメージがないのです。
そう、“動けない”要因のひとつは“イメージ力の欠如”です。
たとえばテレビなどで、V〇とか、SM〇Pとか、E〇ILEとかが踊っているシーンを見て、“かっこいいなー、自分もあれだけ踊れたらなー”と、思って、ひとり自分の部屋で真似て踊ってみた記憶はありませんか?僕はあります(笑)。でもそんなものです。
しかし、それ(EXI〇EやSMA〇)を自分に置き換えるイメージ力がなければ、踊っている自分さえ、イメージできないわけです。
僕は数ヶ月前から、ジャズダンス教室に通ってます。内心、本当にオドオドでしたが、へたくそなりに踊ってみるとなんとかついていけるものです。それこそ昨日は、鏡越しに、自分の踊っている姿を(ある程度、納得して)見ることができました。数ヶ月踊ってきた賜物だと思います。
僕はその時、“初心者をイメージするより、プロをイメージして踊ってみよう”と、思考をチェンジした瞬間でした。
“想い”で世界は変わるものです。案外、簡単に。
イメージで、昨日は踊れなかったあなたも、踊れるかも知れませんよ♪
2010年7月6日火曜日
体躯、踊る身体。
さて…昨日のコンテンポラリーダンスの本番には、予想をうわまわるたくさんのご来場、本当にありがとうございました。客演の僕としても、本当に楽しく、本当に良い経験でありました。
と、いうわけで、今回コンテンポラリーダンスというものを体験&公演したわけですが、僕はそれと同時にジャズダンスの教室に通うようになってたりします。くわしくは“フリースタイルジャスダンス”なのですが、感じとしてはヒップホップ要素のあるストリートダンスって感じでしょうか?(よくはわかってない)。
僕としてはコンテンポラリーもそうでしたが、人前で表現手段として“踊る”というのがなかった、というよりは、自分がダンスなんて…と、ずっと思っていました。ダンス自体嫌いだったわけではありませんが、何せ人前で踊るなんてことは考えもしなかったわけです。
ですが、まあテレビでジ〇二ーズのグループが踊ってたりすると、身体の“キレ”や“動き”に魅入ってたりもしたものです。“歌う”こともそうですが、最近の若い世代(なんて書くと、自分が年寄りみたいで嫌ですが)の人は、“踊る”ってコトにあまり抵抗がないみたいですな。
ってことで、この歳で“踊りだした”自分のなかで、なんとなくわかってきたことを書いてみようと思います。まずは“踊る身体”です。
僕は、世代的には「ダンスしようぜ!」って世代ではなかった(地域柄(田舎)もありますが)のですが、そのかわり“スポーツ”を趣味として習ったり、ストレス発散の手段にしたりが、当たり前のようにありました。例えば野球、バレーボール、剣道に少林寺拳法と、僕の二十代は色々やりました。
そして今、“踊る”ことを覚えた今、発見したことは(あくまでこれは僕個人の演出家としての見方ですが)、“運動する身体”と、“踊る身体”は違う、ということです。
僕は今、ジャズダンス教室に通ってます。そこでは鏡の前で自分の姿を見ながら踊ります。またこれが恥ずかしい(笑)。今まで踊っている自分の姿を見たことないのに、見るわけです。
ま、ですがダンスしてる人たちから見れば当たり前のことなので、そのまま自分の中で恥ずかしがっているだけですが、その自分の“踊っている姿”が、本当にみっともなくて(あくまで自分レベル)、ちょっと照れくさかったりします。それはなぜなのか…。
それは自分の身体が“踊るように”鍛えてなかったからだと気づいたのです。
端的にいうと僕の(今まで作ってきた)身体は、“闘う(闘争する)”身体でした。スポーツの中で競争するための筋肉の使い方と鍛え方をしてきたわけです。
ですが、若いときからダンスをしてきた人の身体はまさに、“踊る身体”ができているわけです。しなやかな、音楽にあわせて“表現する身体”として、作られてきたのです。
なので、そんなルーツの違うふたつの身体が踊ると、さすがに差はでてきます。筋肉、すなわち身体の使い方の違いがそこに現れるのです。それがぎこちなさや不慣れな感じを受ける要因だと思います。
ですが、僕たちは舞台人です。芝居の表現方法の一端として踊らなければならないときもあるでしょう。身体表現としての演劇は大前提なので、ダンスも要素としてあるわけです。
そうなるともう身体の成り立ちをいい訳にはできません。ある意味“闘う身体”であろうと“踊る身体”であろうと、踊るしかないので(笑)、もうそれには“ひたすら踊って自信をつける”しかないのだと思います。大丈夫です、どちらも“運動する身体”なので、踊れるはずです。あとは、(自分は踊れているのだという)“根拠のない自信”だけです。
あとひとつ問題なのが、“運動する身体”を持たなかった、役者の場合です。これは少し悲劇的です。しかし、長くなりそうなので、“そのに”に続きます…。
と、いうわけで、今回コンテンポラリーダンスというものを体験&公演したわけですが、僕はそれと同時にジャズダンスの教室に通うようになってたりします。くわしくは“フリースタイルジャスダンス”なのですが、感じとしてはヒップホップ要素のあるストリートダンスって感じでしょうか?(よくはわかってない)。
僕としてはコンテンポラリーもそうでしたが、人前で表現手段として“踊る”というのがなかった、というよりは、自分がダンスなんて…と、ずっと思っていました。ダンス自体嫌いだったわけではありませんが、何せ人前で踊るなんてことは考えもしなかったわけです。
ですが、まあテレビでジ〇二ーズのグループが踊ってたりすると、身体の“キレ”や“動き”に魅入ってたりもしたものです。“歌う”こともそうですが、最近の若い世代(なんて書くと、自分が年寄りみたいで嫌ですが)の人は、“踊る”ってコトにあまり抵抗がないみたいですな。
ってことで、この歳で“踊りだした”自分のなかで、なんとなくわかってきたことを書いてみようと思います。まずは“踊る身体”です。
僕は、世代的には「ダンスしようぜ!」って世代ではなかった(地域柄(田舎)もありますが)のですが、そのかわり“スポーツ”を趣味として習ったり、ストレス発散の手段にしたりが、当たり前のようにありました。例えば野球、バレーボール、剣道に少林寺拳法と、僕の二十代は色々やりました。
そして今、“踊る”ことを覚えた今、発見したことは(あくまでこれは僕個人の演出家としての見方ですが)、“運動する身体”と、“踊る身体”は違う、ということです。
僕は今、ジャズダンス教室に通ってます。そこでは鏡の前で自分の姿を見ながら踊ります。またこれが恥ずかしい(笑)。今まで踊っている自分の姿を見たことないのに、見るわけです。
ま、ですがダンスしてる人たちから見れば当たり前のことなので、そのまま自分の中で恥ずかしがっているだけですが、その自分の“踊っている姿”が、本当にみっともなくて(あくまで自分レベル)、ちょっと照れくさかったりします。それはなぜなのか…。
それは自分の身体が“踊るように”鍛えてなかったからだと気づいたのです。
端的にいうと僕の(今まで作ってきた)身体は、“闘う(闘争する)”身体でした。スポーツの中で競争するための筋肉の使い方と鍛え方をしてきたわけです。
ですが、若いときからダンスをしてきた人の身体はまさに、“踊る身体”ができているわけです。しなやかな、音楽にあわせて“表現する身体”として、作られてきたのです。
なので、そんなルーツの違うふたつの身体が踊ると、さすがに差はでてきます。筋肉、すなわち身体の使い方の違いがそこに現れるのです。それがぎこちなさや不慣れな感じを受ける要因だと思います。
ですが、僕たちは舞台人です。芝居の表現方法の一端として踊らなければならないときもあるでしょう。身体表現としての演劇は大前提なので、ダンスも要素としてあるわけです。
そうなるともう身体の成り立ちをいい訳にはできません。ある意味“闘う身体”であろうと“踊る身体”であろうと、踊るしかないので(笑)、もうそれには“ひたすら踊って自信をつける”しかないのだと思います。大丈夫です、どちらも“運動する身体”なので、踊れるはずです。あとは、(自分は踊れているのだという)“根拠のない自信”だけです。
あとひとつ問題なのが、“運動する身体”を持たなかった、役者の場合です。これは少し悲劇的です。しかし、長くなりそうなので、“そのに”に続きます…。
2010年7月4日日曜日
公演、終了。
たつので一ヶ月練習していた、コンテンポラリーダンス公演が終了しました。
季節柄気温が高いのと、前日に降った雨のせいで当日はかなりの夏日…。しかも会場は、古民家を改装した土間のある(クーラーのない)空間、お客さんもかなりの暑さの中の公演でした。
しかし、喉元すぎればなんとやらで、終わってしまえば開放感がかなりの割合をしめてます(笑)。後の小打ち上げではなかなかの評価のアンケートや、スタッフや演者の感想に、笑いながら救われていました。
しかし、オーナーの、“(僕の)フリーターのシーンで、うるっときた”発言は嬉しかったなぁ。その一言で、明日も芝居に向かえるってものです。
帰りながら、自分が元いたところより“遠くにきてるなぁ”って感じて、何か感慨深かったです。それは成長なのか、運なのか、人格なのか、拡張なのか、収縮なのかはわかりませんが、僕にとってかなりの収穫だったことは、間違いありませんです。
今は一人で打ち上げ中です。今回の公演に観にきてくださった皆さんと、関わってくれたスタッフに感謝しつつ、乾杯!!!
季節柄気温が高いのと、前日に降った雨のせいで当日はかなりの夏日…。しかも会場は、古民家を改装した土間のある(クーラーのない)空間、お客さんもかなりの暑さの中の公演でした。
しかし、喉元すぎればなんとやらで、終わってしまえば開放感がかなりの割合をしめてます(笑)。後の小打ち上げではなかなかの評価のアンケートや、スタッフや演者の感想に、笑いながら救われていました。
しかし、オーナーの、“(僕の)フリーターのシーンで、うるっときた”発言は嬉しかったなぁ。その一言で、明日も芝居に向かえるってものです。
帰りながら、自分が元いたところより“遠くにきてるなぁ”って感じて、何か感慨深かったです。それは成長なのか、運なのか、人格なのか、拡張なのか、収縮なのかはわかりませんが、僕にとってかなりの収穫だったことは、間違いありませんです。
今は一人で打ち上げ中です。今回の公演に観にきてくださった皆さんと、関わってくれたスタッフに感謝しつつ、乾杯!!!
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