2012年2月26日日曜日

ブラックアウト ~皮膚感覚と記憶

そういえば、前回のブログを書いていて思いだしたことがありまして。
今回はASIAN KANG-FU GENERATHIONです(笑)。なんのこっちゃ♪

僕はずっと、こどもの館劇団に参加してました(ま今も裏方で参加はしてますけども)。
んで、数年前の公演のこと(7、8年前くらい?)。
あれは、どの公演だったっけ?確か「赤穂の47人」だったっけ?なにせ夏の公演のラストシーンが、確か真冬の設定になってたときがありまして。

で、そのラスト。
以前から「ラストシーンは雪が降ってる場面にしたいから、綿とかで雪が積もってる感じにしたいよなー」的な発言が、ぎーの(演出)から出てたので、実際どうなるのか興味はありました。
んでその本番前日。
その当時は、こどもの館劇団は“野外移動劇”でしたから、そのラストは中央広場を抜けて、工作館(芝生の広場がある)が、ラストシーンだったわけです。
そして僕たちは、ゲネを兼ねて(兼ねてって言葉も変ですが)、ラストシーンの広場まで行ったのですが、そこには本当に綿で雪が積もっていて、白い布で覆われた広場がありました。そして僕はその(一見、雪景色に見える)広場に入った途端、僕の体温が数度下がったのです!

真夏です。夕方といえどかなりの暑さで、しかも冷房装置のない野外。それでも僕は(僕の身体は)、雪景色だと認識(というより目に入った)した瞬間、僕の体温は急激に下がったのでした。これは自分でもびっくりしました。まあ、実際に下がった訳ではないですが、瞬間“冷えた感覚”を覚えたのは確かです。
僕はこの不思議な感覚が忘れられず、何度か目をつぶって感覚をリセットしようとしたのですが、もう無理でした。きっと脳で、理解してしまったのでしょう。

んで、当時参加していた子にこの感覚を確認したのですが、都会育ちの雪が積もった風景を知らない子たちには、この感覚はなかったようでした。
ですが、(同じ田舎の子の)当時の自分の娘も、この“瞬間、冬になった”感覚はあったようでした。
これにはびっくりしました。なんだろう、本当に人は不思議です。
それは、人の記憶が身体感覚を左右できる、ということです。いかえれば記憶や経験は忘れない。むしろ、何年経っても思い出せる記憶があるのかもしれないです。

で、当時の楽曲でアジカンの“ブラックアウト”なのです。歌詞は、
「冬の雪原に 茹る炎天下
 鈍る皮膚感覚 僕を忘れないでよ」
というものでした。
なんか、ホンとにそのときの自分の感覚を表しているようで、びっくりしました。

この感じ、感覚…ちょっと深いので、考える余地ありです。

2012年2月16日木曜日

17歳の地図を抱えて

ども。今日は昔話などを。

タイトルは尾崎豊の曲です。“17歳の地図”。
もともと僕は、冬になると尾崎豊が聞きたくなります。“路上のルール”とか“なくした1/2”とか特に聞きたくなります。まあ、おっさんの青春ですわな。

僕が15歳の冬、尾崎豊の3枚目のアルバムが発売されました。その頃の僕は、高校受験やら友人と組むバンドの問題やら、さまざまな鬱屈した不安を抱え込んでいました。そんな中、3枚目のアルバム“壊れた扉から”が発売され、僕は進学塾の帰りにそのアルバム(当時はレコードでした)を抱え、友人の自転車に乗せてもらい、寒空の下、急いで家路についたのを覚えています。
帰って食事もせず自室へ行き、レコードのナイロンを破り、レコードに針を落とします。確か、大音量で聞くためにヘッドホンで聞いていたと思います。
火をつけたストーブもすぐには暖かくならず、身体を震わせながら、しかし気持ちは新曲で熱くなっていた記憶があります。ですから僕は、今でも尾崎を聞くと、あの冬の痛いくらいの、でも凛として澄んだ寒さを感覚として思い出すのです。


そして現在です。僕はあの15歳の感覚を覚えたまま、40歳を軽く越えました。
あの10代の頃には本当に想像しえなかった年齢に、僕はなりました。今でも僕は、あの寒さの中でレコードに針を落とした感覚と、何が変わったのだろうと思います。
僕はとっくに尾崎が亡くなった年齢を越えて、核戦争も何もなかった世紀末を過ぎて、あの、漠然とした不安の中で生きていた15歳からもう、26年もの月日が流れてしまったことに僕は、愕然とするのです。
なんだろう。簡単に言えば、人生の折り返し地点に来たのかもしれません。今抱えている問題が、生活を一変させる不安があるから、こんなことを思うのかも知れません。
10代に僕が見ていた40代は、もっと大人で、もっと、立ちはだかる壁でした。社会を動かしている動力であり、ある意味、未知の存在でした。今、自分がそれになれているのだろうかとも、思います。

時々、自分があの10代からタイムスリップしたような感覚になる時があります。

芝居をしているとわからなくなるんですが、たまに地元の友人とか、兄弟の家族に会うと、自分が年をとっているのだと思い知らされます。だって気づけば普通に話している姪っ子がもう、自分が多感だった17歳になっていたり、親友の娘が、自分が不安を抱えていた高校受験だったりするのです。本当になんというか、自分だけ取り残されたような、時間を越えたような、不思議な感覚に陥るのです。


今でもあの、凍える手でレコードを回した自分と、パソコンに向かい酒を飲んでいる今の自分と、何が変わったのだろうと思います。
あの頃に比べれば変化もしているし、成長もしていると思います。でも、こうやって思い出す感覚があるというのは、ある意味僕にとっては幸福なのだと思います。
そして、こうなっても明日に向かえる自分を作ったのは、この自分だったのか、と思うのです。