2010年9月23日木曜日

演じること、伝えたいこと。そのに。

ご無沙汰してます。長かった夏もようやく終わり、そろそろ秋ですな。
この項目も、以前に書いたものながら、続くなどいいつつ考えがまとまるまで放置しておりました。

で、「そのに」です。

以前僕は、「なぜ、表現するのか?」の問いに、「誰かとつながりたいから」と書きました。とりあえずは今のところ、そこが到達地点です。
「つながる」ということはいわば“心の共感”だと思っています。あ、身体的ではありません、念のため。(ま、身体的につながることも、ある意味重要なことではありますが、それはまた別の機会に)
例えば、自分の考えが誰かと同じだったとき、なんだか嬉しくなったことないですか?。「ああ、自分と同じ想いの人がいてくれた」と感じることで、ホッとすることなかったですか?そんなとき、普段感じていた“漠然とした孤独感”は和らぎます。「世界でひとりじゃない」という想いは、人を前向きにさせてくれます。
自分の“考え”や“想い”や“なんだかわからない衝動”やら、そんな気持ちを絵や音楽やダンスや演劇に乗せて、見ている人たちに伝えようとする行為が、“表現”だと思うのです。たとえそれがある人には伝わらなくとも、他の人はわかってくれるかもしれない、そしてその人がある種の“共感”を感じてくれたなら、きっとそれは幸せなことなんじゃないかと思います。でも…。

でも、ひとは、つながることはできないと、僕は思っています。(「今、つながると言ったじゃないか」と思われるかもしれませんが、“つながれる”という意味ではないです。ここからはあえて、誤解を覚悟で書きます)
やはり、ひとはひとりです。もともと孤独な生き物だと思います。たとえ恋人同士でも、今まで生きてきた人生やら性格やらを、全て理解できるなんて嘘です。だってお互い“個人”なんですから。
ひとは、「(完全には)わかりあうことができない」のです。僕は基本的にそうです。「人はわかりあえる」なんて理想です。

でもだからこそ、ひとは“誰かとつながろう”とするんじゃないかと、思うのです。たとえ一瞬でも、見ているお客さんと“想い”を共有することができたなら、それはとても幸せなことなんじゃないかと、思うのです。人と人はわかりあえない。でもわかりあおうと努力することは、大切なことだと。
だから僕たちは、今日も表現することを、続けられるのだと思います。

まだ見ぬ、どこかの誰かに向かって、この“想い”を発信してゆく。たったひとりの“誰か”に向けて。
それが他でもないあなたなら、どんなに素敵なこと、なんでしょうね。

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