結局のところ、この歳になってようやく世界がわかりかけてきた気がするんだけども、でもよくよく考えると世界なんてモノは自分の捉え方でどうとでもなるものだしわかったと思っていてもそれは自分が見てきた世界の中のコトだけなのかも知れない。自らの理解度に合わせて自分の見方は変わるものだしまたそうした変化を受け入れるような自分であらねばならないと思う。きっと世界は流動的であると思うし常に変化してゆくものと思う。とはいえ日常の中でそこまでの達観はできないし逆にそれとは程遠い世界に自分達は常にいるのだ。
僕はここにいる!と叫んでみたところでそれを認識しているのは自分しかいないしそこはもう自分の世界でしかないだろうと思う。つまり自分の世界なんて自分が感じたいと思った無意識の集合体であってきっと立場とか世間とか目に見える情景などではないはずだ。しかしそれを定義づけするには厚かましい話だし僕も面倒くさい。要は自らの意識と無意識の有り様なのだ。
ただただ黙ってあまねく世界とのありようを捉えようとしても、それは自分の意識の上での感覚というか、自らが捉えた経験の上で成り立ったものでしかないのかもしれない。
所詮は自意識などという小さな自分の中の、巨大な自我の作った実体のない巨大な化け物の仕業、ということにして、自分の犯した罪の所業をなんなくいいわけにしている、と思う。
なんだか訳がわからんな。
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