ちょいと久方ぶりですかな。
先日「SPECE BATTLESHIP ヤマト」を観ました。そう、宇宙戦艦ヤマトの実写版。木村拓也主演のヤツ。内容は意外にも(失礼)しっかり作ってて、周りから聞いた感想よりは楽しめました。
で、途中から観てて「あれ?」と思ったことが・・・。
実はヤマトは艦橋(館長や操縦士がいるとこね)は船の上部にあり平面で構成されてます。まあ普通の船の感じですな。
でもヤマトは“宇宙”戦艦です。そう、宇宙の戦艦なので無重力空間を行くわけです。リアルに考えると無重力の演出を加えなければ変です。でも乗組員たちはヤマト内では普通に歩き、普通に倒れたりします(笑)。僕はこれを実写版で気づいたとき、感動すら覚えました!だって昔のアニメのヤマトもそうだったのですから!
これは意外に誰も気づいてないようです。僕が気づいたのは昔、アニメ誌のネタにあったのを覚えてたからでした。それはこんな感じのものです。
「ヤマトの乗組員はなぜか全員日本人である。それは日本人が“根性”があるからである」
「その“根性”はヤマトの部品にまである。ヤマトの被弾した破片までも“根性”により(宇宙空間でありながら)“下”へ落ちるのである(笑)」
当時中学生だった僕は、突っ込みネタとしてそれを笑いながら読んでました(アニメを見ればやはりそうでした)。でも実写版を見たとき、「あ!これか!!!」と思ったわけです。
でも意外にそれは不自然ではなかったです。普通に(リアルに)考えるなら、無重力下で髪の毛や帽子も浮き上がるし、移動も床を蹴るだけで済むはず。みんな普通に歩いてましたが。
でも、でもそれが意外に気づかずに物語は進みます。僕は思いました・・・それが「ヤマト」なんだと!!実写版とはいえ、コレは「宇宙戦艦ヤマト」なのだと。
これがヤマトではなく、別の普通にリアルなSF映画ならこうはいかないな、と僕は思いました(きっと映画としての表現方法と“SF考証”の違い)。
アニメが原作のヤマトだから、無重力な演出はいらないし逆にそれでよし!としてる部分があるな、と僕は思ったわけです(まあそれ以前に“演技力”とか“ストーリー性”とかがしっかりしてないと、という前提はありますが)。
で、次に思ったのは“アニメと芝居は、意外に近い(かも)”ということ。
んー・・・これはちゃんと伝わるかわかりませんが、アニメや漫画は「この世界はこうなんです!」といってしまえば、絵やアニメーション的な表現で観ている側は納得させられるものなのですな。(現実世界から遠い、と言い換えればわかるかな)きっとフィクションの最たるものです。(だって絵であり動画なのですから)
でも映画は案外“リアル”を求められます。ちゃんと実写だし人間を撮影してますからね。だからちょっとした動きや設定を見ると「あれ?変だな」ってなことになるわけです(といっても僕だけかも知れませんが(;^ω^))。
でも芝居はなんだか、違います。そうです、芝居は“人が、目の前で演技している”のに、“これはこうなんです!”って言えば“そう”なんです。
よくいわれる「演劇の嘘」なのですが、例えば30歳の人が「小学生です!」っていえば小学生なんです。客席に向かって「壁がある!」といえば壁なんです(笑)。ね、なんだかアニメに近くないですか?(強引?)。
嘘といえば嘘だし、でもそれを虚構というのかもしれません。(観る側の知的想像力の力も借りないといけませんが)。
僕はそんな嘘を内包したお芝居の世界を僕は“様式”と呼んだりしています。世界観としての“様式”をしっかり作ってあるほど、観客は感情移入しやすいのだと思います。
って、考えはいろいろ出るのですが実際難しいですなー・・・(遠い目)。
(↑この内容、わからなければ直接聞いてください(笑))
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