2011年3月8日火曜日

分断されゆく世界

もう三月ですな。
たしか去年の今頃は、「熱海殺人事件」の公演終えて共鳴空間、ダイズハハタケノマメの客演の頃、でしたかな…しかしあまりに激しく駆け抜けた一年だったので、本当にアッという間でした。(閑話休題)

さて、最近は(とはいえここ十数年)、世の中のスピードが速くなってきたといわれます。高速道路や高速鉄道、携帯電話やインターネット。僕らをとりまく環境は便利さを求めて、より速く、より複雑になってきたようです。それはそれで良い悪いは関係なく仕方のないことだと思います。僕らの少年時代、それが夢であり理想でしたから…。でも、便利さを求めた結果、“情報過多”になったことは周知の事実だと思います。(この“情報過多”の話はまたの機会にします)
それはそれとして…現代人とて人間です。個人の情報処理能力なんてたかが知れてます。
で、何が言いたいのかというと…

僕はある日、ニュースを見ていました。確か彼氏が付き合っていた彼女とその姉を刃物で刺して逃走…そんな内容だったと思います。その時僕は、「あ、恋愛のもつれだな」とか「あ、こいつキレてやったな」と、ニュースをものすごく端的に、断定的に判断している自分に気づきました。
よくよく考えてみると、“恋愛のもつれ”という言葉だけで片付く事件などないんです。事件を起こした加害者も、素直に相手のことが好きだったからかもしれませんし、相手の言葉も悪かったのかもしれません。本当のことなんて、本当は何も知らないんです。

僕はそのとき、“端的に答えを出すことの怖さ”を、感じました。簡単に結論づけて、“情報”を“処理”しようとしている自分がいることに気づいたんです。
ニュースだから仕方のないことかも知れませんが、だからといって僕は、物事はそんな簡単じゃないだろうと思いだしたんです。
でもそんなコトいっても、いちいち目の前で起こることに深く考えることなんてできません。イメージや先入観で決めつけていることなんてしょっちゅうでしょう。“先生は偉い”“ヤンキーはバカ”“前科者が悪い”“演劇は貧乏”(ぁこれは当たってるか)など、意外に自分でもレッテル的に決めてしまっていることのなんと多いことか。
でも、もしそんなイメージがちょっとでも違えば、意外性がでて楽しいと思うのです。きっとそれが“ドラマティック”なんだと思うのです。そのためには「深く考える」ことだと思うんです。
(気持ちに少しの余裕があれば、ですが)ほんの少し深く考えられれば、物事を簡単に結論づけてしまうこともなく、気持ちを切り捨てることも少なくなるのかな、なんて思ったりします。

支離滅裂な話になってしましましたが、たぶん他の言葉だと、“多角的に見る”とか“察し”とか“思いやり”とか“優しさ”とかなのかもしれないですね。

一方向だけの見方はファッショで、画一的で硬い。(あくまで僕のイメージです)
そして僕は、「みんなちがって、みんないい」が、大好きなのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿