さて…昨日のコンテンポラリーダンスの本番には、予想をうわまわるたくさんのご来場、本当にありがとうございました。客演の僕としても、本当に楽しく、本当に良い経験でありました。
と、いうわけで、今回コンテンポラリーダンスというものを体験&公演したわけですが、僕はそれと同時にジャズダンスの教室に通うようになってたりします。くわしくは“フリースタイルジャスダンス”なのですが、感じとしてはヒップホップ要素のあるストリートダンスって感じでしょうか?(よくはわかってない)。
僕としてはコンテンポラリーもそうでしたが、人前で表現手段として“踊る”というのがなかった、というよりは、自分がダンスなんて…と、ずっと思っていました。ダンス自体嫌いだったわけではありませんが、何せ人前で踊るなんてことは考えもしなかったわけです。
ですが、まあテレビでジ〇二ーズのグループが踊ってたりすると、身体の“キレ”や“動き”に魅入ってたりもしたものです。“歌う”こともそうですが、最近の若い世代(なんて書くと、自分が年寄りみたいで嫌ですが)の人は、“踊る”ってコトにあまり抵抗がないみたいですな。
ってことで、この歳で“踊りだした”自分のなかで、なんとなくわかってきたことを書いてみようと思います。まずは“踊る身体”です。
僕は、世代的には「ダンスしようぜ!」って世代ではなかった(地域柄(田舎)もありますが)のですが、そのかわり“スポーツ”を趣味として習ったり、ストレス発散の手段にしたりが、当たり前のようにありました。例えば野球、バレーボール、剣道に少林寺拳法と、僕の二十代は色々やりました。
そして今、“踊る”ことを覚えた今、発見したことは(あくまでこれは僕個人の演出家としての見方ですが)、“運動する身体”と、“踊る身体”は違う、ということです。
僕は今、ジャズダンス教室に通ってます。そこでは鏡の前で自分の姿を見ながら踊ります。またこれが恥ずかしい(笑)。今まで踊っている自分の姿を見たことないのに、見るわけです。
ま、ですがダンスしてる人たちから見れば当たり前のことなので、そのまま自分の中で恥ずかしがっているだけですが、その自分の“踊っている姿”が、本当にみっともなくて(あくまで自分レベル)、ちょっと照れくさかったりします。それはなぜなのか…。
それは自分の身体が“踊るように”鍛えてなかったからだと気づいたのです。
端的にいうと僕の(今まで作ってきた)身体は、“闘う(闘争する)”身体でした。スポーツの中で競争するための筋肉の使い方と鍛え方をしてきたわけです。
ですが、若いときからダンスをしてきた人の身体はまさに、“踊る身体”ができているわけです。しなやかな、音楽にあわせて“表現する身体”として、作られてきたのです。
なので、そんなルーツの違うふたつの身体が踊ると、さすがに差はでてきます。筋肉、すなわち身体の使い方の違いがそこに現れるのです。それがぎこちなさや不慣れな感じを受ける要因だと思います。
ですが、僕たちは舞台人です。芝居の表現方法の一端として踊らなければならないときもあるでしょう。身体表現としての演劇は大前提なので、ダンスも要素としてあるわけです。
そうなるともう身体の成り立ちをいい訳にはできません。ある意味“闘う身体”であろうと“踊る身体”であろうと、踊るしかないので(笑)、もうそれには“ひたすら踊って自信をつける”しかないのだと思います。大丈夫です、どちらも“運動する身体”なので、踊れるはずです。あとは、(自分は踊れているのだという)“根拠のない自信”だけです。
あとひとつ問題なのが、“運動する身体”を持たなかった、役者の場合です。これは少し悲劇的です。しかし、長くなりそうなので、“そのに”に続きます…。
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